※参考元http://news.livedoor.com/article/detail/14490032/
世界で最も売れなかったゲーム機「ピピンアットマーク」はどうして失敗したのか?
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1972年にマグナボックスから「オデッセイ」が発売されて以降、家庭用ゲーム機は世代を重ねながらさまざまな機種が登場した。1980年代に発売したファミコンやメガドライブなどは、レトロゲームファンから人気の高いゲーム機だが、一方で家庭用ゲーム機の長い歴史の中に埋もれてしまい、人びとの記憶から失われつつある不遇のゲーム機も存在するのだ。その一例として「ピピンアットマーク」が、技術系メディアのars technicaで紹介されているのだ。

1990年代、Appleは、日本円で約630億円の費用を投入して開発したレーザープリンター・カラーモニターなどが全て不振に終わり、業績は低迷した。1990年代のPC市場ではAppleのシェアはおよそ12%だったが、AT互換機はMacintoshの10倍の売れ行きを見せ、Appleのシェアは縮小していく一方でした。起死回生の策として出したPDA端末「Apple Newton」は大きすぎるサイズ・操作性の悪さなどで酷評を受け、完全に失敗に終わったのだ。

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そこで、それまでAppleが占有していたMacシステムのライセンスを解放し、Apple以外の企業もハードウェアを製造できるようにし、Mac OSに対応したゲームソフトを市場に投入することで、市場のシェアをMicrosoftから奪うことができるだろうと、Appleの取締役や経営幹部は考えたのだ。なお、Apple創立者の一人であるスティーブ・ジョブズはAppleから追放され、取締役から退いています。

そんな時、マッキントッシュOEM製品のディレクターであるエリック・サーキン氏は、おもちゃ会社であるバンダイから「Mac OSベースのゲーム機を作りたい」というアプローチを受けたのだ。

1994年、バンダイはパワーレンジャーをアメリカでヒットさせ、関連商品の売上げから日本円で約350億円の利益を得る等、順調に世界的大企業へ成長したのだ。創業者の長男である山科誠氏は、バンダイを単なるアクションフィギュアの会社としてではなく、ディズニーや任天堂のようなグローバルエンターテインメント企業としてマルチに展開させていく構想を描いていたのだ。バンダイは「セーラームーン」「パワーレンジャー」など、自社が抱えているキャラクターのゲームをプレイできるMac OSベースのマルチメディアマシンの開発を計画したというわけだ。

そこで、サーキン氏は日本へ飛び立ってリサーチを行い、バンダイと話し合いを進めて、「ピピンプロジェクト」を立ち上げたのだ。しかし、Appleのゲーム機開発担当部署でPIEが、日本の企業とのゲーム機製造に全く乗り気ではありませんでした。そのため、Appleは携わるのはハード開発の協力のみで、製造・マーケティング・ブランディングには一切関与しないという契約を交わったのだ。

しかし、Appleとバンダイは計画当初から足並みがそろいませんでした。バンダイは「安価でMacに互換性のあってインターネットが可能なマシン」というコンセプトを掲げていたのですが、「インターネットは金にならない」と考えていたAppleはこのコンセプトに懐疑的だったとのことです。さらに、「他社製の安価なMac互換機によって現行のMacintoshの売上げが下がるようなことがあってはいけない」と考えていたため、ハード開発の段階でAppleが現行のMacintoshに近いシステムを要求し、予定よりもコストが跳ね上がってしまったのだ。

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発表会でのピピンアットマークの紹介スピーチの後、サーキンさんはとあるゲーム開発者から「このゲーム機はインターネットデバイスなのでしょうか?それとも新しいゲーム機なのでしょうか?」と質問をぶつけられましたが、サーキンさんは答えることはできなかったのだ。サーキンさんらは現場で開発に関わっていたメンバーの目にはピピンアットマークは非常に優れたマシンに映りましたが、現実にはPlayStationやセガサターンよりもゲームの性能は劣っており、普通のPCやMacintoshほどのコンピューティングパワーもないという、どっちつかずなマシンになってしまったのだ。

ピピンアットマークは日本では、モデム内蔵式のモデルが1996年3月に税別6万4800円で、モデムや一部付属ソフトを外した単品版が1996年6月に税別4万9800円で発売されたのだ。なお、2年前の1994年に発売されたPlayStationの税別3万9800円、同じく1996年に発売されたNINTENDO64の税別2万5000円という価格と比較すると、ゲーム機としてはかなり強気な価格設定といえるのだ。

アメリカで同時発売されたソフトは、「アニメデザイナー ドラゴンボールZ」「GUNDAM TACTICS MOBILITY FLEET0079」などのバンダイの版権を用いたゲームや海外ゲームの移植作の他、百科事典ソフトやインターネット接続用のソフトなど、「マルチメディアマシン」の名にふさわしく幅広いジャンルのものだったのだ。また、Mac互換性によってMac OS向けのゲームタイトルも一部遊ぶことが可能となってしまったのだ。しかし決め手となるようなキラータイトルに恵まれませんでした。